一審の判決文より「地下鉄サリン事件」についての事実認定 全文

 

 検察官は、被告人は、本件の現場指揮者であり、共謀共同正犯であると主張し、弁護人は、被告人は、共謀共同正犯ではなく幇助犯である旨主張し、それ

ぞれその理由として、種々の点を指摘する。

 そこで、被告人が、サリンの生成に関与していないことは証拠上明らかであり、争いがないから、まず、本件サリンの撒布に関し、関係証拠から認められる

被告人及び共犯者らの行動について、概ね争いのない範囲で認定し、その上で、検察官及び弁護人の具体的な指摘を示し、順次それらについて検討していくこ

とにする。


 関係各証拠によれば、被告人及び共犯者らの行動について、概略、以下の事実が認められる(本項第五において単に月日のみを記載したものは平成七年で

ある。)。

1 前記第四(ラルブル爆発事件)で説示したとおり、平成七年三月一八日午前一時ころから東京都杉並区高円寺で開かれた教団内部の会食の後、A、M、

E、AO、I及び被告人は、午前二時ころから四時ころまでの間、上九に向かうAの専用車リムジンの中で、教団に対する強制捜査について話し合い、その中

で、強制捜査を阻止するために地下鉄にサリンを撒いたらどうかとの話をした。

2 同日早朝、被告人は、第二サティアンにおいて、Mから、「私が指揮して科学技術省のメンバーで地下鉄にサリンを撒く。アーナンダ(被告人のこと)

は、その前に島田教授のところに時限爆弾を仕掛け、東京総本部に火炎瓶を投げて欲しい。時限爆弾や火炎瓶の方の人選は任せる。時限爆弾などは明日の昼に

取りに来て欲しい。」旨指示された。

 一方、そのころ、Mは、HA、HI(以下「HI」ともいう。)、Y(以下「Y」ともいう。)及びHOを第六サティアン三階の自室に呼び集め、同人らに

対し、教団の教義にしたがい、教団に対する警察の強制捜査を妨害するために、(主として)科学技術省のメンバーで東京都内の地下鉄にサリンを撒くことに

なったが、その実行をT(以下「T」ともいう。)を加えた五人で行うことを告げ、右四名は、Mの指示がAの命令であると認識し、それぞれ実行役を引き受

けることを同意した。Mは、三月二〇日の朝の通勤時間帯に、霞が関周辺を狙って地下鉄にサリンを撒くことを伝えた。

3 被告人は、八王子の倉庫の鍵をTに渡すことを頼まれていたため、一度東京に出向いたが、上九に戻った後の同日午後三時過ぎころ、HAの部屋を訪れ、

HAが地下鉄にサリンを撒くことを指示されたことを知り、サリンを撒く方法、実行役を運ぶ運転者、実行メンバーが使用する東京でのアジトのことなどを話

し合い、次いで、HAと共にHOのところに行き、地下鉄にサリンを撒く方法等についてさらに相談した。

 そして、Mに相談しようということになり、被告人とHAがMの部屋に行くと、Mに依頼された買物を済ませて戻って来たHI及びYが既に同室に来てお

り、Mと三人で地下鉄の路線図を見て、サリンを撒布する地下鉄の路線や乗降駅などについて話し合っていた。これを見た被告人は、三人が使用していた地図

より自分が持っていたものの方が役に立つと考え、地下鉄に関する二冊の本をMらに提供した。その場で、Mが地下鉄の情報等について被告人に質問し、被告

人がそれに答えるなどしながら話が進められ、サリンを撒布する路線や各路線の乗降駅、乗車車両、犯行は午前八時一斉に行うことなどが決められた。その

際、運転者についての話もされ、S、HM、TE(以下「TE」ともいう。)の名前があがった。撒布の方法についてはMが考えておくことになった。

 約一〇分程度で、Mの部屋を出た被告人とHAは、ファミリーレストラン「ココス」に食事に出かけ、それから、被告人は、イニシエーションの立会をした

り、前記ラルブル爆発事件等のためSHと話をしたりし、同事件の実行に向けて、三月一九日午前零時ころ今川アジトへ出発した。

4 Mは、同月一八日夜、第六サティアンの自室において、Tに対し、HA、HO、HI、Yと共に地下鉄にサリンを撒いて欲しいとの指示をし、Tはこれを

了承した。

5 三月一九日午前八時ないし九時ころ、HA、HI、Y、Tは、運転者役としてあげられていたS、HM、TEと共に上九を出発し、今川アジトに向かっ

た。

 そして、同日午前中、今川アジトにおいて、HA、HI、Y及びTの四名は、サリン撒布について、各実行役が担当する路線の分担や乗車時間等を決め、そ

の後、犯行時に使用する衣類等の買物や地下鉄の駅の下見などをした。

 被告人は、同日未明に今川アジトに到着し、ラルブル爆発事件のための下見をしたり、指示を出したりしていたが、同事件に使用する爆弾等をMから受け取

るために同日午前九時ころ今川アジトを出発し、正午前に上九に戻った。

6 上九でMと会った被告人は、Mに実行役を送迎する車の運転者について尋ね、MがAの許可を受けるつもりである旨答えたことなどから、Mと共に第六サ

ティアンのAの部屋に行った。そして、Aから「お前ら、やる気がないみたいだから、今回はやめるか。」「井上どうだ。」などと聞かれた被告人は、尊師の

指示に従う旨答えた。また、MがAに運転者について尋ねた結果、Aにおいて、運転者五人についてはS、K(以下「K」ともいう。)、TA、SO(以下

「SO」ともいう。)、Nをあげ、実行役との組合せを、HAとS、HIとK、TとTA、YとSO、HOとNとする旨を指示した。

 Aの部屋を出た後、被告人は、Mから、下見に行っている東京のメンバーとTAに連絡をとること、実行役を運ぶ五台の東京ナンバーの車を用意することを

指示され、これを了承した。さらに、被告人は、サリン撒布のメンバーの集合場所を用意するように指示されたため、諜報省が使用していた東京都渋谷区宇田

川町二番一号渋谷ホームズ四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)が使用可能であると話した。その結果、渋谷アジトが集合場所に決まった。

 その後、Mは、同日昼ころ、SOらに対し、同日夜に渋谷アジトに行くように指示した。

7 被告人は、上九で爆弾を受け取るなどし、同日午後七時ころ、SHらと共に今川アジトに立ち寄り、SHらを車に待機させて中に入り、HAに対して、A

が指示した運転者五人を教え、HAと組む運転者がSである旨を告げ、さらに、今川アジトにいた本件メンバーに対してTAの案内で渋谷アジトに移るように

指示した。

 被告人は、約一〇分くらいで今川アジトを出て、判示第七の一及び二の犯行(ラルブル爆発事件等)を実行した。

8 同日午後九時過ぎころ、渋谷アジトに、実行役の五名、運転者役の五名及び被告人が集合した。被告人は、実行役及び運転者役の一〇名にAが指示した実

行役と運転者役の組合せを告げ、さらに犯行手順等の話をし、HOには担当路線等の説明をした。また、緊急事態に備えて、実行役らに被告人の携帯電話の番

号を教えた。その後、被告人は、渋谷アジトを外出し、この段階で未調達であった車の調達の手配をするなどしてアジトに戻り、Tらに対しては、手配済みの

車を取りに行くよう指示した。そして、被告人は、三月二〇日午前零時ころ、ラルブル爆発事件等の結果をAに報告するために、渋谷アジトから上九へ向かっ

た。その際、被告人はHAの依頼でサリンが未だ届いてないことについても、様子を見てくることを承諾していた。

9 同日午前一時ころ、Mは、実行役五名に対して、電話で、至急上九一色村の第七サティアンに戻るよう命じた。

 同日午前二時過ぎころ、被告人が、Aの部屋でラルブル爆発事件等の報告をしている際、Eが、NAと共にTSの指導下で生成した撒布用のサリン一一袋を

Aの部屋に持参した。

 その後、Mは、被告人にサリンの入ったナイロン袋を突き破るのに使用するビニール傘の購入を指示し、被告人は、その指示に従って傘を購入し、滝澤の傘

の先端金具部分を尖らせる作業を手伝った。

 さらに、Mは、同日午前三時ころ、第七サティアンに到着した実行役に対し、サリン撒布の方法を伝え、同人らに犯行の予行演習をさせた。その模様を被告

人も見ていた。

10 同日午前五時過ぎころ、実行役らは渋谷アジトに戻り、実行の準備を進め、本件犯行に及んだ。

 一方、被告人は、実行役らとは別に東京の今川アジトに戻り、同日早くとも午前六時半過ぎに、渋谷アジトに行ったが、既に実行役らが出かけた後であっ

た。

 犯行後、被告人は、本件犯行を終えて渋谷アジトに戻ってきたHA、N、Sと実行役が使用した傘や衣類等を処分した。


 検察官及び弁護人の主張

1 検察官の主張

 検察官は、リムジン内において、A、M、E及び被告人との間で本件の共謀が成立したと主張し、それを前提に、被告人は、教団の教義の実践のために自ら

の意思と判断で犯行に積極的に加担し、首謀者A及び総指揮者Mが本件の骨格を決めたリムジン内重要謀議に参加し、運転者の選抜及びその実行役との組合せ

等の重要事項の決定に深く関与している上、本件犯行の現場指揮者として、上九において総指揮をとるA及びMと東京都内で本件犯行の実行にあたる者らとの

間に入って、実行役らを指揮して犯行を推進し、その遂行に向けて重要な役割を果たしているのであるから、共謀共同正犯が成立する旨主張し(「共謀」共同

正犯とする点につき、平成八年三月二一日付け釈明書)、被告人の具体的関与行為について、右のほかに主要な点として、

@    三月一八日夕方ころ、Mの部屋において、実行役を送迎する車の運転者役の必要性を訴え、犯行メンバーが集結するアジトの提供を提案し、地下鉄に関す

る情報を提供するなどして、具体的実行方法に関する謀議を主導したこと、

A    今川アジト、渋谷アジトを提供し、三月一九日夕方、HAに今川アジトへの移動を指示し、HOには渋谷アジトへの合流を指示したこと、

B    三月一九日の午後九時ころ、渋谷アジトにおいて、実行役と運転者の組合せを伝え、犯行の実行方法に関する詰めの謀議を主導し、犯行メンバーに犯行の

細部にわたって最終指示を与えたこと、

C    実行役に対して不測の事態に備えるための逃走資金を渡し、被告人の携帯電話の番号を教えるなどし、渋谷アジトで待機して緊急連絡に即応する態勢をと

っていたこと、

D    犯行に使用する車五台を調達したこと、

E    犯行に使用した衣類や傘の処分を計画し、HAらを指揮して処分させたこと

などを指摘する。

2 弁護人の主張

 これに対して、弁護人は、被告人が本件について共犯関係に入ったのは、リムジン内ではなく、三月一九日午後一時過ぎころに被告人がMから指示を受けた

時点(前記二の6)であり(平成一一年一一月八日付け弁護人意見書)、被告人は、本件の実行メンバーではなく、現場指揮者でもない、被告人が本件につい

て主体的に担った行為は、三月一八日午後にMの部屋で話合いが行なわれた際に、地下鉄の地図を示すなどしてMの質問に積極的に答えたこと(前記二の

3)、三月一九日に渋谷アジトにおいて、実行役と運転者の組合せを伝えるなどして、その場の会議の中心となったこと(前記二の8)、本件実行役を送迎す

る自動車五台の調達をしたことに過ぎず、それ以外に検察官が主張するような被告人の関与はない、あるいは、消極的な関与であるとして、被告人は現場指揮

者としての役割を担ったことも、それに見合う関与もなく、科学技術省のワークを手伝っただけのものであり、被告人は共同正犯ではなく幇助犯にとどまると

主張する。


 そこで、右各主張に照らし、前記二の経過に沿って、個々の被告人の関与の有無、内容について順次検討する。

1 リムジン内の会話等について

(1) 関係証拠から、リムジン内には、被告人、A、M、AO、I、Eの六名が乗車していたことが認められる。しかし、Mは平成七年四月二四日に死亡し、

A、E及びAOは、公判廷において証言を拒絶し、Iは公判廷において、コスモクリーナーの音がうるさくよく聞こえなかったなどと供述し(公判供述

六〇三六丁)、さらに、Eの捜査段階の供述も、Aからサリンを造れるかと尋ねられたことは述べるものの、その前の話については、A、Mと被告人の

三人でひそひそと話をしていたのでよく聞いていないなどというものであって(甲A一二〇四七等)、その際の具体的な会話に関する証拠は被告人の供述

に依るしかない。

(2) そこで、被告人の供述によれば、リムジン内での本件に関する会話の状況は概ね以下のとおりである。

 リムジンに乗る前の会食の席で、Aが、「Xデイ(教団に対する強制捜査のこと)が来るみたいだ。」と発言し、教団に対する強制捜査が話題になっ

ていたところ、リムジン内では、AOから、いつになったら四つになって戦えるのか、また、Mから、(三月一五日に、被告人らが地下鉄霞ヶ関駅構内

にアタッシェケース入りのボツリヌストキシンを撒布しようとしたものの、失敗に終わった)アタッシェケース事件が成功していれば強制捜査がなかっ

たのかなどの話が出て、強制捜査の話が始まった。その際、Aから、強制捜査を妨害するための方策について何かないかと聞かれた被告人は、「T(ボ

ツリヌストキシン)ではなく、妖術(サリンのこと)だったら強制捜査はなかったということでしょうか。」と答えたところ、Mが「地下鉄にサリンを

撒けばいいんじゃないか。」と言い出し、さらに、Aも「それはパニックになるかも知れないなあ。」と答えて、AとMの間で、サリンについての話が

続けられた。

 そして、被告人は、Aから、「この方法でいけるか。」と地下鉄にサリンを撒布する方策について尋ねられたため、判断できないと述べ、さらに、牽

制の意味で硫酸を撒くことを示唆した。しかし、Aは、「サリンじゃないとだめだ。アーナンダ(被告人のこと)、お前はもういい。」と言って、Mに

対して「マンジュシュリー(Mのこと)、お前が総指揮でやれ。」と言った。これを受けて、Mは、新たに正悟師となる四人を使いましょうかとHA、

HI、T、Yの四人の名前をあげたところ、Aは、HOも加えることを提案し、Eにサリンの生成が可能かを尋ねた。Eは条件が整えば造れるのではな

いでしょうかと答えた。また、Aは、サリンを撒いたら強制捜査がどうなるかの質問をしたので、それぞれが意見を述べ、被告人は、少しは遅れるかも

しれないが、来ると決まっているなら来るのではないでしょうかと答えた。

 その後、Iが、「強制捜査が入ったら自分が演説をするので、ピストルで自分の足を撃ってもらえば、世間の同情が買えるのではないか。」と言い出

したことなどから、被告人は、「それだったら、青山総本部道場に爆弾を仕掛けたらいいんじゃないでしょうか。」と言い、その結果、Aは、「島田さ

んのところに爆弾を仕掛けて、青山総本部道場に火炎瓶を投げたらいいのではないか。」と言った。

 そして、最終的には、Aが「瞑想室で考えてみる。」と言った。

(3) 被告人は、乙A一七を始めとして、当公判廷及び証人として出廷したオウム真理教関係被告人の公判において、概ね以上のような趣旨の供述をしている

が、その内容は、供述の時期、立場、状況等を異にしながら大筋において一貫している(一部公判段階で変遷したところについては、それなりの合理的

な理由が示されている。)上、それ自体として極めて具体性、迫真性に富み、特に不自然、不合理な点もなく、関係証拠から明らかである当時のオウム

真理教を巡る客観的状況や経緯にもよく符号し、それ自体として高い信用性を有する。のみならず、その一部はリムジンに同乗したとされるEの検察官

調書、Iの公判供述等にも裏付けられていること、被告人の供述内容を前提とするとき、M総指揮の下に、突如としてオウム真理教関係者がサリン生成

から実際の実行役五名による地下鉄内での撒布に至る一連の流れを企図し、遂行、実現した客観的経緯、状況をまことによく理解できること、被告人が

このような供述をするに至った経緯が自発的に真実を明らかにしようとするものであること、被告人自身や他のオウム真理教関係者の公判供述からも、

被告人が深く帰依していたAの眼前で、事実を否定する同人に不利益となるような内容の供述をするには大変な覚悟がいることが認められ、ましてやこ

とさら嘘をついてまで同人を陥れるような供述をするとは到底考えられないところ、同人の法廷においても、いったん供述を開始するや、その弁護人に

よる極めて詳細執拗な反対尋問、さらにA本人による不穏当な妨害行為にもかかわらず、その主要部分の供述内容に揺らぎがみられず、当公判廷の供述

等と実質的に異なることもないこと等の諸事情に照らして、十分信用できる。

 そして、このような被告人供述により認められる右の事実によれば、被告人は、捜査を妨害するためにサリンを撒布することを初めに言い出し、サリ

ン撒布の効果などにつきAの質問に答えるなどして、サリン撒布の契機となる言動をとっていたことが認められ、この段階で既に、その後実際にサリン

撒布を担当することになる実行者五名の名前があがっていたのである。

 しかし、リムジン内においては、最終的にはAが瞑想して考えるとして、サリン撒布の実行について留保していること、被告人は、リムジン内で、A

から本件の役割について指示された経緯はない上、むしろ「お前はもういい。」と言われていること、それを聞いて、被告人が犯行メンバーから外され

たと認識したこと、現に、被告人は、その日の早朝、Aの部屋に行っているものの、MAらの指紋除去の許可を受けるなどしただけで、Aから本件やラ

ルブル爆発事件等について何も言われていないこと(公判供述四四九三丁、乙A一〇)、Mも、実行役四名に対して指示した際に、被告人の関与を予定

しているような発言をしておらず、実行役五名の名をあげただけであり、被告人自身に対しても、本件犯行を科学技術省のメンバーでやると告げ、被告

人にはラルブル爆発事件等を実行するように指示していること、被告人は、リムジン車中での話の後に、Aと少なくともMとの間で、本件実行について

の相談があったと考えていること(公判供述四四九三丁)、リムジン内でサリン生成の可否を問われて、造ることができる旨答えていたEも、その場の

話はその程度で終わったと認識しており、その後改めてAからサリンを造れとの命令が下され、Eはそれからサリン生成を始めていること(甲A一二〇

四七等)などの事情が認められる。

 そうすると、リムジン内においては、未だ本件の実行が確定的なものとして決定されたというまでには至っていない上、被告人に対して、本件の現場

指揮をとることや、本件の補助をすることなどの指示が抽象的な形であっても何ら示されておらず、被告人自身この段階では本件をAやMらと共同して

実行しようとする意思を形成していなかったと認められ、被告人とAらとの間に共謀が成立したとみるには無理がある。検察官のこの点の主張は採用で

きない。

(4) 以上よりすれば、リムジン内において、被告人が、A、Mらとの間で本件犯行の骨格を決める重要な謀議を行ったとまではいえない。

 しかし、Aが、これより先、既に、サリンの生成を検討させていたりし、被告人に対しても、強制捜査に備えてサリンのことを調査するように命じて

いた経緯があったとしても、リムジン車中で強制捜査の話と絡めて、具体的にサリンの使用を示唆した被告人の言動が、本件の契機となり、Aの決定に

影響を与えたことは否定できず、被告人が、本件犯行に至る経緯において、その当初の段階から、意図的か否かはともかくとして、深く関わっていたこ

とは明らかである。

2 三月一八日早朝Mが実行役四名に指示した内容について

この際の内容について、検察官は特に言及していないが、付言すると、この場に同席したHIは、公判廷において、この時にMが被告人も犯行に加わると

して、各実行役の役割分担を示した際、HAは被告人との連絡役である旨説明したと供述しており(公判供述四四五丁以下)、その内容に照らせば、右三月

一八日早朝の時点までに、何らかの形でAないしMと被告人間で、被告人が本件に関与する旨の謀議が成立したもののようにみられるし、実際HIは、本件

において、車の調達、アジトの提供、Mからの指示の伝達、そのほかの指示等について、被告人の関与がなければ、これほど手際良く実行できなかったかも

しれない旨を供述する(公判供述五二三丁)。

  しかし、同じ機会に立ち会ったHA、Yは右のようなMの説明を聞いたとは述べておらず、被告人の果たした役割を他の者よりも重要視して供述するHO

の供述にもそのような内容はみられない上、HIによれば被告人との連絡役となったはずのHAにおいても、同人の方から被告人と連絡をとろうとするなど

した形跡もなく(かえって、HAは途中まで、被告人が本件に関わりをもつのかどうかについてすら、承知していないことを前提とする態度を示してい

る。)、ほかにそのことを窺わせる証拠もないことからすると、この段階で既に被告人が本件で一定の役割を与えられ、その実行に参加していたとまでは認

められない。むしろ、HIにとっては、被告人に対する日頃の印象などからして、被告人がこの段階から既に一定の役割を与えられていたと誤解するような

状況にあったものと窺われ、それが本件における被告人の役割についてのHIの供述内容に影響しているものとみられる。

3 三月一八日午後にHAと話した内容について

(1) 検察官は、被告人がHAの部屋に行ったのは、被告人が本件犯行を確実に実行するためには自分の積極的な関与が必要であると考えたからであり、被告人

は、HAに対して、自分から、犯行メンバーが集結するアジトを自分が用意する必要性があること、実行役を送迎する運転者五名が必要であり、そのた

めの車五台は自分しか調達できないことなどを説明するとともに、運転者としてHM、TE、Sの名前をあげ、さらにサリン撒布の方法も話したと主張

する。

これに対して、被告人は、HAの部屋に行ったのは、自分がラルブル爆発事件等を行うにあたって、本件についても知っておきたかったことや本件が

どのように行なわれるのか関心や興味があったことから、実行役五名の中で仲の良かったHAのところに行って、食事でもしながら聞いてみようと思っ

たからである(公判供述四四九四丁)、「Mが五人のメンバーを使って本件をやると言っても、もろもろの手配のことというのが必要になってくるだろ

うと、僕に回ってくる可能性もあるんじゃないかと思っていたんじゃないかと思う。どうせ回ってくるんだろうから、そのときにやらないといけない

し、それを聞こうとしたのではないかと思う」旨供述し(公判供述七三六四丁)、運転者について話をしたが、自分からアジトを提供する用意があるこ

とや車の調達の話、さらに運転者の名前をあげたことはなく(公判供述四四九五丁)、HAが悩んでいて、被告人に話を持ちかけて運転者の名前をあげ

た、運転者については、TEとは仕事をしたことがないので良く知らないし、SはAの運転者であるので、自分で仕事を命じることはできないので、自

分から名前をあげることはないはずである、とその理由も含めて供述している(公判供述六八三六丁)。

(2) 被告人の右供述をみるに、被告人が供述するHAの部屋に行った理由については、被告人が、リムジン内で、サリンを撒く話題に加わりながら、お前はも

ういいと言われ、その後、Mから本件を科学技術省のメンバーでやると言われた経緯に照らすと、自然な感情として理解できるものである。そして、被

告人が、HAの部屋に行く際に、既に自己の積極的な関与が必要であると考えていたのであれば、むしろ、HAのところではなく、Mに自分がするべき

ことを直接進言するほうが効果的であり、実際にもそれが可能な状況にあったことを考えると、この点の被告人の供述は信用性が高い。

また、HAが、自室に入ってきた際の被告人の印象について、いつもと異なり遠慮がちに言い訳するような感じであり、違和感を感じた旨供述してい

るところ(公判調書三二二一丁)、その供述は、特異な事態について具体的に述べるものであって、次に検討するような被告人との間の細かなやり取り

と異なり、大まかな印象という事柄の性質上も十分信用できるものであるが、そうすると、HAが述べるこのときの被告人の言動は、前示のとおり、サ

リンに関わる事項はMが総指揮をとることとされ、Aから被告人はもういいとされていたという、被告人が述べる当時の客観的状況に極めてよく符号す

る自然なものであって、被告人の供述の信用性は、この点からも十分裏付けられるということができる。

これに対し、HAは、検察官の主張に沿った供述をしているが、この点のHAの供述は、同人の逮捕が他の犯行メンバーより遅れて、平成八年一二月

三日と犯行後約一年半以上経過していたこと(甲A一二〇五四)、運転者としてあげられた三名はいずれも被告人よりHAの方がはるかに親しく、よく

知っている間柄であること、HAが教団でサリンを生成していることを知っている右三名に頼もうと考えていると述べたとする被告人の供述内容(乙A

一〇)は、運転者選択の理由として合理的で自然であること、HAにとっては自己の関与にも密接に関わる内容であることなどに照らすと、それだけで

は直ちに信用できない点がある。また、被告人がHAの部屋に行った理由などからすれば、HAに相談されれば、被告人が躊躇なくそれに応じたであろ

うことは十分窺え、HAにとっては、被告人が言い出したとの印象が残っているとしても不自然ではない。

(3) そうだとすれば、被告人は、この段階では、加担の可能性を認識していたものの、まだ、確定的に本件に加担していたとまではみられず、HAの部屋で運

転者等について、被告人が自主的に言い出したとは認められない。検察官の主張するような発言が被告人の方からあったと認めるに足りる証拠はない。

しかし、被告人は、本件に関して重大な関心をよせるとともに、自ら本件についての情報を得ようとし、また本件が滞りなく遂行されるために、HA

の相談に十分な対応をしていたことがみてとれる。

4 三月一八日午後HOに指示したことについて

(1) 検察官は、被告人がHAと話し合った後、同人と共にHOと会った際に、HOに対して、携帯電話の番号を教えた上で、三月一九日午後九時ころ渋谷まで

来て、連絡を入れるように指示したと主張する。

(2) しかしながら、渋谷アジトが使用されることに決まったのは、三月一九日の午後にMが、被告人に使用できるところはないかと相談したことが契機になっ

ているのであり、この段階ではまだ決まっていない(公判供述四四九六丁)ことからすれば、被告人が、偶然にHOと出会ったこの機会に、渋谷アジト

に実行役らが集合することを前提として、HOの述べるような内容の指示をしたというのは不合理である。HAも、被告人より先にその場を離れたとは

いえ、この間の事情については、特段述べていないし、逆に上九を出るまで渋谷アジトの話は出ていないとしている(公判調書三四〇〇丁)。むしろ、

このころの時点では、被告人が、HAに今川アジトについて話をしている事情が窺えることからすると、話したとすればHOに対しても今川アジトをあ

げる方が自然である。この点、HOも、当初は公判廷において、はっきりした記憶はないが、被告人に指示されたと思う旨供述していた(公判供述一四

二丁以下、二二六丁以下)ものの、後に、合理的な理由を示した上で、三月一九日に、Mが自分の部屋の前にメモをしたということが確実だと思うと供

述しており(公判供述四七六三丁)、そのほか関係証拠に照らすと、被告人が、HOに指示したことはないと認められる。

(3) しかし、被告人が、HAとHOのところに行って、サリン撒布の具体的な方法について話し合っていることは、自分自身でお節介をやいたという形である

と供述していること(公判供述四四九五丁)からしても、被告人自身の意思で、HA、ひいては本件の実行に協力しようとしていたことの現れであると

認められる。

5 三月一八日夕方のMの部屋における関与について

(1) この際に、被告人が地下鉄の本をMらに提供し、積極的にMの質問に答えたことに争いはない。

検察官は、さらに、被告人が、Mらに対し、東京で犯行メンバーが集結するアジトを用意することや運転者役の必要性を告げたと主張する。

(2) しかし、被告人は、そのようなことを言った記憶はないと供述しているところ、その場に同席していたHI、Yはその点を供述しておらず、被告人の供述

を裏付けており、この際に、アジトの用意をすると告げたとは認められない。なお、検察官の主張に沿うHAの供述はある(公判供述三二三九丁)が、

同人は同時に、この際に各自の担当路線も決められたとも供述し(公判供述三二三七丁以下)、それを後に訂正する(公判供述五七四一丁)などしてお

り、記憶に混乱がみられ、必ずしも信用できない。

また、運転者の必要性については、Sが一八日中にHAから車の運転をしてもらう旨指示されており(公判供述二七〇丁)、翌一九日朝には、Mの指

示で、S、HM、TEの三名が実行役と共に、東京へ出かけていることなどからして、この段階で、運転手の話があり、かつ右三名の名前があがったこ

とは確実なところとみられるところ、HAは、被告人が言ったのか、被告人に促されて自分が言ったのか出だしは覚えていないが、被告人が運転者役の

必要性を話したと検察官の主張に沿った供述をしている(公判供述三二四〇丁)が、前記のとおりそもそもHAからの話であったとみられること、HA

自身も捜査段階において自分がMに言った旨供述していること(甲A一一九九五)などに照らすと、必ずしも検察官主張のとおりの経緯であったとまで

は認め難い。

(3) そこで、この際の状況を検討するに、被告人は、それまで、仲の良かったHAとの関係において、本件の情報を得ようとし、他面で悩んでいたHAに協力

するという意図が強かったと認められる。そして、被告人とHAがMの部屋に行ったのは、Mから本件犯行の話合いをするために召集されたからではな

く、被告人とHAの話の流れの中から、そのようになったもので、Mの部屋にHIとYがいたのも、被告人らにとっては偶然の事情であった。

しかし、被告人は、Mの部屋に行った際には、指揮者であるMの下に実行役のHI及びYが集まり、サリン撒布の具体的方法について話し合っている

ことを認識したのであり、さらに、そこへ実行役であるHAと共に加わり、それまでHAとの間では話題になっていなかった地下鉄の乗降駅等について

話合いが行なわれているにもかかわらず、自己の判断で、積極的に、本件犯行の実施により有効な情報を与えようと参加し、資料を提供したり、Mの質

問に答えて説明するなどの行為に及び、実質的に具体的手順を検討し、Mにおいて決定するやり取りを、主としてMと被告人の二人で行っている。しか

も、Mを含めた犯行メンバーが四名もいる中で、被告人が指揮者であるMの質問に直接に答えている状況や、そのような被告人の振る舞いに対して、M

はもとより、他のいずれのメンバーも、何ら違和感を覚えていない。そうすると、HIやYが本件犯行メンバーに被告人が含まれていると認識し、ま

た、被告人が本件についてどの程度承知しており、あるいは関与しているのか明確に判断しかねていたHAにとっても、Mが被告人を排除することな

く、むしろ被告人に積極的に質問するなどしているのを見れば、被告人も犯行メンバーの一人ではないかと認識し得る状況であったと認められる。ま

た、被告人も、それを十分理解し、HAと二人で話をするのとは状況が異なってきていることも認識し得る状況にあったと思われる。

右状況の下での被告人及びMらの言動、話合いの内容等に照らせば、この段階に至り、被告人は、本件犯行における実質的な謀議に加わったものとし

て、被告人とMらとの間で共謀が成立したということができる。実行役五名の中で、これ以降にMから指示を受けたTだけが、Mの指示中で他の実行役

四名や「被告人」と相談して行動しろと言われた旨供述(公判供述五六五丁)していることも肯けるところである。

そうすると、被告人は、本件における役割を具体的に指示されたことはなく、本来予定されていた犯行メンバーではなかったものの、その後に自らが

とった行動から、本件に加担する状況を作り出す結果を招いたものというべきである。

6 HAと「ココス」で食事をした際のHAに対する指示について

(1) 検察官は、この際に、被告人が、犯行メンバーをいったん今川アジトに集結させようと考え、HAに対して、準備ができ次第、HOを除く実行役と運転者

役として名前のあがった三名を今川アジトに連れて行くように指示したと主張する。

(2) 確かに、HAは右に沿った供述をしている(公判供述三二四三丁)。

しかし、一方で、HAは、東京に出て下見や買物をする指示はMから出ていると供述しており(公判供述五七六九丁)、また、関係証拠によれば、こ

の段階では、まだ本件の実行方法も決まっておらず、実行役らの今後の行動予定も被告人は知らないのであるから、被告人が、Mの指示もなく右のよう

な趣旨の明確な指示をHAにできるのかは疑問である。むしろ、「場合によっては今川アジトを使ってもいいよ。」と言ったとの被告人の供述(公判供

述四五〇〇丁。なお、乙A一〇では、HAの部屋での話とする。)の方が、関係証拠に矛盾しないと思われる。

この点のHAの供述は信用できず、検察官が主張するような、被告人の意図及び指示があったとは認められない。しかし、ここでも、被告人は、本件

犯行の実行に関わる事柄について、協力を拒むことなく、むしろ、積極的に協力する姿勢を示しているとみられるのである。

7 三月一九日夜の渋谷アジトでの関与について

(1) 渋谷アジトにおいて、被告人が、会議の中心となって、Aからの実行役と運転者役の組合せを伝えたり、HOに路線や乗降駅を教えたりし、被告人の携帯

電話の番号をも教えたこと自体については争いがないが、検察官は、さらに、被告人が、犯行当日の各自の行動について具体的かつ詳細な指示を徹底

し、また、実行役に対して、緊急用の逃走資金として現金を配った事実を主張する。

(2) この点、被告人は、実行役の担当路線は知らなかったし、実行役と運転者役の組合せを伝えた後は、それぞれがペアの人と打ち合わせを始めたのであり、

HOには担当路線等をHAから聞いて伝えたが、犯行時刻や担当路線について全員に指示したことはなく、最終確認までを行ったことはない旨供述する

(公判供述四五一三丁等)。

各実行役の担当路線については、HOを除く実行役四名が当日今川アジトで決定した経緯が認められるから、被告人の述べるところは不自然なもので

はない。そして、この場に同席した者の被告人の言動についての供述は、詳細において微妙な食い違いがあるものの、その内容は、概ね被告人が、実行

役と運転者役の組合せを伝え、その後、犯行時刻、乗降駅など具体的な実行手順を説明したというものである。すなわち、HAは、従前は本件犯行の目

的、犯行時刻、出発時刻、下見に行くようにとの指示などのほかに、各自の担当路線、乗降駅、車両の乗車位置などについても被告人から話があったと

供述していたが、後者については記憶違いであった可能性も出てきたと供述し(公判供述三二六七丁以下、五七三八丁、五七六八丁)、Yは、被告人

が、組合せや路線、乗降駅、実行時刻、乗車する車両位置等、犯行計画について詳しく説明し、最終確認を行った(甲A一一九〇一)、Sは、被告人か

ら、組合せ、降車駅、担当路線、乗車車両、午前八時一〇分くらいに霞が関に電車が集中することなどの話があった(公判供述三〇四ないし三〇六

丁)、SOは、自分が担当する路線名と降車駅を言われ、詳しいことはペアの人から聞いてくれと言われた、六時ころと言われたかは分からないが、明

日早朝に出発することと、下見に行ってくれとは言われた(公判供述五六四九ないし五六五二丁、五六五五丁)、Tは、被告人から、組合せを聞いたと

思うが、そのほかのことについてははっきりしない、下見をした方がいいだろうという話はあったと思う、なお、自分の担当路線、降車駅については被

告人から今川アジトで聞いた、被告人から降車駅の二つ三つ前の駅で乗るようにとの指示もあった(公判供述五八四丁、五九〇丁、五九一丁、五九六

丁)、HIは、路線、乗降駅、車両、犯行時刻、組合せ、使用車等の決定があったが、被告人が中心になって最終的な打合せをしたかは分からないが、

被告人が運転者役を集めて緊急連絡先を教えていたことは覚えている(公判供述四七八、四七九丁)、HOは、結局、Mが自分たちに言ったことだが、

被告人を中心として、どのように実行していくかの話になり、担当路線や乗車車両の位置は被告人から指示された、実行時刻については実行犯メンバー

の中から話が出て、最終的に被告人が取りまとめたが、組合せは被告人以外の実行役から聞いた、状況から考えて被告人が最初にMの伝言があるから集

まって下さいと切り出したのだと思う(公判供述一四六丁、四七六四丁以下)、Kは、被告人が指示したことで覚えているのは、明日(二〇日)朝、霞

ヶ関駅で乗り降りする客を狙って、五組に分かれて一斉に地下鉄の車両の中にサリンを撒くこと、組合せ、乗降駅くらいである(甲A一二〇三四、公判

調書五七〇七丁等)などとそれぞれ供述しており、最終確認がいかなるものであるかは別としても、被告人が、中心となって話を進める形態をとって、

翌日朝に一斉に犯行を実施することとして、そのための実行役と運転者役の組合せについてのAの指示をMからの伝言として本人達に伝え、その他に撒

布をする路線や乗降駅、乗車車両、下見などの話が出たことは概ね一致している(なお、被告人から今川アジトで担当路線や降車駅を聞いた旨のT供述

は、前後の経緯からして誤りであることが明らかであり、そのほか同人の供述内容は、実行役と運転者の組合せについてHAが自分の意向を被告人に伝

えてその了解を得たと述べるなど、客観的にも信用し難い部分がみられる。また、被告人から、サリンの量についての話や下見の積極的指示などが出た

かについては、そこまで認めるに足る証拠がない。)。そうすると、被告人が、その公判供述で述べるように、自らがその場における指揮者として皆を

呼び集めて、指示をするまでの意図がなく、実際にそのようなつもりで指示まではしていないとしても、集まった者に対して、その中心となって、初め

に口火を切って情報の伝達を行っていること(公判供述七三五四丁)や被告人が初めて知った情報についてもHAから聞くなどしながら話を進めること

は可能であったことなどに照らせば、被告人が、話合いの中心となって最終的な指示、確認を行ったとするに見合うような行動をとっていたことが認め

られる。

(3) また、現金を配った点について、HAは、渋谷アジトにおいて、被告人が全員に対して指示した後に、実行役何人かに五万円ずつを配っていたが、自分は

辞退したと供述し(公判供述三二七〇丁)、HOは、出発前にもらったというのは確かであり、出発前に被告人が渋谷アジトにいた記憶なので、被告人

から五万円もらったと思う旨供述し(公判供述一六三丁、二四〇丁)、HIは、渋谷アジトに戻る際にMから一〇万円を受け取ったが渋谷アジトでは現

金をもらっていないと供述し(公判供述四九七丁)、Yは、出発前に荷物と一緒に五万円か一〇万円が置かれていた旨供述しており(甲A一一九〇

二)、Tは渋谷でHAから受け取ったように思うと供述する(公判供述六五一丁)など、実行役の供述はさまざまであるが、配られた現金の主目的が運

転者役と会えない等の支障が生じた緊急時に備えての逃走用であることは間違いないところとみられ、そうだとすれば、出発前に配られたとするHOや

Yの記憶は具体的で信用性がある。しかし、関係証拠上、実行役が運転者と共に渋谷アジトを出発したのは三月二〇日午前六時ころであり、被告人が渋

谷アジトに着いたのは早くとも午前六時半過ぎであることが認められるから、被告人は実行メンバーが渋谷アジトを出発する際にはその場にいなかった

のであり、その際に被告人が現金を渡すことは不可能である。また、被告人が渋谷アジトの会議の中心的存在であったことはほぼ一致して実行役らが供

述しており、その会議の際に現金が配られていれば、当然現金を受け取った者の記憶に残っていておかしくないと思われるが、その趣旨を供述している

のは自らは受け取らなかったとするHAと運転者役のSO(公判供述五六七七丁)くらいであり、それ以外の実行役らはそのようなことを述べていな

い。そうすると、現金を配ったのが被告人である可能性は低いというべきである。

(4) なお、検察官は、被告人が、逃走資金を渡し、緊急用の連絡先を教えるなどして、犯行中は渋谷アジトで待機して、緊急事態に対応する態勢をとっていた

と主張するが、逃走資金を渡したかについては右のとおりである。また、被告人の携帯電話の番号を教えたことについては、それ自体は争いがないが、

被告人は、渋谷アジトの連絡先を聞かれたが、それはまずいと考えて、自分の携帯電話の番号を教えただけである旨供述する(公判供述四五一五丁)と

ころ、ラルブル爆発事件等を終えた被告人は、その後、上九にいるAに報告に行くことを考えており、上九からも実行メンバーが出発する時間までに、

渋谷アジトに戻れるにもかかわらず、今川アジトに帰っていることなどからすると、被告人が、初めから緊急事態に即応すべき態勢をとることを予定し

て、携帯電話の番号を教えたとまでは認められない。

しかし、被告人は、実行犯メンバーに何かあったときには、犯行について知っているのは自分で、自分は自由に動けるから、いてあげた方が何かあっ

たときに彼らを助けることができるかな、と願って渋谷アジトに行くことにした(乙A一〇)、東京でこれからサリン事件が行われることを知って

いて自由に動けるのは自分しかいないから、自分がいてあげた方が何らかかの形で手助けできるだろう、地下鉄サリン事件そのものはグルの意思だし、

知っている以上できることはしてやろうとして渋谷アジトへわざわざ出向いた、これから自分の仲間がやるものすごい大きな事件が起きるのを知ってい

て、東京にいてじっとはしていられなかった(公判供述四五二一丁、四五二二丁)、知らんふりして、今川アジトでふて寝してしまうことはできない、

とにかく何かあったときに助けてあげることはできるかもしれない(公判供述六七四三丁)、自分でできることはということで当日現場(渋谷アジト)

に行った(公判供述七三五三丁)などと供述しており、結局は、当日、緊急事態が生じた場合などには自ら支援することを考えて、それに備えるべく自

主的に(乙A一五)渋谷アジトに行ったことは、十分推認できる。

(5) 以上よりすると、被告人は、渋谷アジトにおいて、犯行メンバーがまだ知らない実行役と運転者役の組合せ等に関するAの指示を伝達し、具体的な計画や

実行の手順に言及し、さらに、緊急用の連絡先として自己の携帯電話の番号を教えるなどしたのであって、当時被告人が既に正悟師の地位にあったこと

などを併せ考えると、これらの行動は、被告人の意思に関わらず、他のメンバーに対して、被告人が指揮をとるかのようにみられる行為に出ていたもの

と見受けられる。


 そこで、以上の点を踏まえて、被告人の正犯性を検討する。

1 被告人の関与した行動について

前記に認定してきた事実によれば、被告人の関与した行為には、

@    リムジン内における話に加わっていたこと、

A    HA、HOと本件について相談したこと、

B    Mの部屋に行って、地下鉄に関する本を提供し、意見を述べ、乗降駅、決行時刻等が決められたこと、

C    HAに、場合によっては今川アジトの使用を認めたこと、

D    Mと共にAの部屋に行き、本件(及びそれに伴うラルブル爆発事件等)の実行についてAの判断に従うと述べ、実行役と運転者役の組合せの指示を聞

き、Mの指示で、右組合せを伝達し、渋谷アジトを提供し、車五台を調達したこと、

E    今川アジトで、HAに組合せ等を伝え、渋谷アジトへの移動を指示したこと、

F    渋谷アジトに実行役及び運転者全員が集結した中での話合いに際して、Mの指示を伝達し、犯行の詳細についての話をするなどして、会議を取りまと

め、その中心になったこと、

G    Mの指示を受けて犯行に使用する傘を購入し、先を削るのを手伝ったこと、

H    犯行後、傘、衣類などを処分したこと

などが認められる。

2 被告人の関与行為の位置付け

(1) 本件全証拠によっても、A及びMが本件犯行の実行を決意した謀議の存在やその状況は必ずしも明らかでなく、いずれにせよ、その際に被告人が犯行メン

バーに含まれていたこと、さらに、その後において、被告人が、AあるいはMから現場指揮者として本件の指揮にあたる旨の役割を指示されたことを認

めるに足りる証拠はない(この点、検察官も、第三五回公判でその旨主張していた従前の冒頭陳述の内容を削除しているところである。)。

また、本件の具体的犯行計画、方法等が決定された経緯をみると、リムジン内においては、地下鉄にサリンを撒くことや実行役五名の名前があげられ

ていただけであり、具体的な犯行日時、場所、方法等については、何ら言及されていないこと、他方、犯行日や場所はMから三月一八日早朝に実行役四

名に指示される際には既に決められていたのであり、被告人はその決定に関与していないこと、サリン撒布の方法については、三月一八日からM、HI

及びYが中心に検討していたものの、実行役が東京に向けて出発するまでには確定されておらず、最終的には実行役に三月二〇日未明に上九でビニール

袋入りのサリンを渡すまでに、Mらにおいて決めたものと窺え、被告人がこれに関与した形跡はないこと、実行役の担当路線は今川アジトにおいて、H

Aらが決めたことであり、被告人は、下見に行くなどの現実的行動は何もしていないこと、運転者五名についても、MがAの指示を仰いでAが決めたも

のであるところ、この指示を受けた際の状況をみても、ラルブル爆発事件等に使用する爆弾等を受け取るためMを探していた被告人が、たまたま出会っ

たMから一緒に来ないかと誘われてAの部屋に行った際のものであり、Aの一方的な意思であることが認められ、結局、被告人が本件の具体的実行方法

の決定に関わったのは、三月一八日夕方にMの部屋で乗降駅や決行時刻を決めたことだけである。そして、その場にいたHAによれば、決定や指示はあ

くまでMが行ったのである(甲A一一九九五)。このことは、渋谷アジトでの会議において、被告人が言ったことは、既にMやHAから聞くなどして分

かっていたことであって、新しいことは組合せ以外なかったし、指示というより最終的確認であったというYの供述(甲A一一九〇一)、Mの部屋で聞

いたことを少し具体的に言ったまでで、A、Mの指示内容を、指示されたとおりに告げたものと理解したというHOの供述(公判供述一九六丁)等から

も窺え、現場指揮者であるならば、犯行計画、方法等について、少なくとも指揮すべき実行犯メンバー以上に当初から熟知していてしかるべきと思われ

るところ、被告人が本件犯行の具体的な決定に関わったのは現場指揮者とすればわずかである。また、渋谷アジトにおける最終的確認、指示について

も、被告人が、その直前のラルブル爆発事件等を一緒に実行したメンバーで本件のことは知らされていないSHらとその後に食事しようとして、同人ら

を渋谷アジト付近まで同行し、待たせるなどしていた経緯(乙A一〇等。SHの公判供述につき公判調書三九一八丁、三九三七丁)からすると、被告人

がそれほど重大視していたものとも思われない。とりわけ、渋谷アジトにおける被告人の果たした役割の評価をする関係で考慮すべきはNの存在であ

る。すなわち、例えば、HIがステージの下の者が上の者に対して指示することは考えられない旨明言するように、ステージ制がとられ、その段階によ

る上下関係が明確かつ厳格であった教団内にあっては、被告人が明らかに上の段階に位置するNを差し置き、そればかりかNに対しても指示、命令する

ようなことは到底考えられない事態である。このことは、判示第二ないし第四のVX関連事件の一連の経緯における被告人とNの関係を見ても明らかで

ある。そうすると、本件渋谷アジトでの被告人の言動やその実質的な役割を考察するにあたっては、被告人が相手とした実行役、運転者役の中にNが存

在していたことを度外視することはできず、被告人がNに対しても指示するような役割を果たしたものとは考え難いし、現にNが何ら被告人の言動に対

して異を唱えた形跡が窺えないことからすると、被告人の行ったことは、事柄の性質上からしても、これを実質的にみる限り、せいぜいMからの指示の

単なる伝達と実行役、運転者役らの協議の進行役を務めたに過ぎないものと評価すべきである。

さらに、被告人が行った行為には、現場指揮者としての指揮権を発揮したり、独自の決定行為や指示をしたものは見当たらない。かえって、時間的に

は十分間に合う関係にあったにもかかわらず、今川アジトに立ち寄って休むなどして、実行メンバーが犯行のため出発した後になって渋谷アジトに着く

などした被告人の行動は、検察官が主張する(論告要旨一二二頁)ような「上九一色村で総指揮を執るA及びMと東京都内においてサリン撒布の実行に

あたる実行者及び運転者との間に入って犯行を計画どおり推進できる強力な統率力を持っ」て「実行者及び運転者を指揮して犯行を積極的に推進した」

現場指揮者というには不自然とみるしかないし、当日未明に被告人が、HAの依頼を受けて、まだサリンが届いていないことの確認も併せて行うべく、

上九へ出向いている途中、その知らない間に、実行役全員がMの命で東京から上九へ往復する事態となり、挙げ句の果てにAから、「何でお前は勝手に

動くんだ」と怒られ、「人間は同時にたくさんいろんなことはできないんだから、やったって失敗するんだから、サリンはすべてMに任せておけ」など

と叱責されるに至ったこと(乙A一〇等)なども、それまで被告人が実行役と共にあったことからするとお粗末であり、その後実行役らと別途に東京へ

向かったのも、支援態勢をとるべき現場責任者としては不可解である。その結果、被告人は、前後の経緯等からすると、十分可能であったと思われる肝

心のサリンの運搬、実行役への受渡し等についても、結局は何らの関与もないままに終わっている。この間の事情は、MがHAらを上九に呼びつける

際、HAにおいて、既に被告人が上九へ向かっていると弁解したのに対して、「アーナンダ師は関係ないんだ」と言っていること(公判供述三二七九

丁)からも、よく裏付けられる。また、被告人は自らが指示された事項(ワーク)については、こまめにAにその実行状況や結果を報告しているのに、

本件については何らそのような形跡が窺えないのである。

そうすると、被告人の関与行為そのものは、せいぜい後方支援ないし連絡調整的な役割にとどまり、客観的には被告人が検察官の主張するような現場

指揮者というに値するだけの実態があったものとはいえない。

(2) しかし、他方、被告人の関与行為が本件に与えた影響を見ると、本件は、リムジン内で、地下鉄にサリンを撒くことが話されてから犯行の実行まで、約五

〇余時間しかなく、その大規模な組織的、計画的犯行の態様に比べると極めて短時間で遂行された犯行である。その中にあって、被告人は、実行役らが

集結、使用するアジトを提供したり、車を調達したりするなど、被告人が長らく信徒活動を行ってきた上、諜報省長官として有していた調達能力がなけ

れば困難な種々の行為を引き受け実行して、短時間の犯行準備を可能ならしめている。また、被告人は、現場において実行メンバー以外に本件を知る数

少ない一人であり、本件当時の客観的状況からして、(例えば、HOなどの)当該メンバーを除けば、被告人以外に実行役と運転者の組合せ等に関する

事項を東京に集結していた実行役らに的確に伝達する役を果たせる者は考え難く、本件犯行の遂行、実現にあたって重要な役割を果たしていたと認めら

れる。

加えて、被告人は、犯行当時正悟師の地位にあり、Nを除けば東京の現場において最も高い地位にあったもので、その被告人が、話合いで中心的に発

言し、犯行の準備に関わったことは、実行メンバーにとっては、被告人が、実行メンバーを統括し、犯行の遂行にあたるものと思わせ、ひいては、被告

人の指示に従えばいいと思わせるに至ったものと容易に理解でき、このことは、HIが公判廷で、被告人の関与があったことから、本件が手際良く実行

されたとし、早期の段階から被告人の役割が決められていた旨を供述している(公判供述四四六、五二三丁)ように、実行メンバーが、いずれも被告人

について、現場のリーダー、指示を出す役、まとめ役、議長あるいは、A、Mとの連絡役でその代行などと供述していることからも明らかである。ま

た、被告人自身も「自分がやらなくても、手際は悪くなるかもしれないが、他の者でもできたことで、本件の実行は可能であった。」と供述する一方

で、「(被告人の自分の行動に対する認識と被告人の行動をみる周りの目との間に違いがあることを)最近気付いてきました。」と供述しているところ

である(公判供述七三七六丁)。

そうすると、被告人の関与が、客観的な行為自体としては、現場指揮者に値するようなものではなかったとしても、それらの行為を被告人が行うこと

による効果はかなりあり、本件の遂行、実現にあたって、他の者では果たし得ないものとして、被告人の関与の意味は重要であると位置付けられ

る。

3 被告人の認識等

(1) 本件犯行の目的が教団に対する強制捜査の妨害であることは、前記のとおりである。

そして、被告人は、右目的を十分に認識し、教団が本件を起こすことはまずいのではないかという意識をもっていたものの(公判供述七三六一丁)、

結局は、それを容認していたことが認められる。

(2) また、被告人が、Aから、リムジン内で、「お前はもういい。」と言われ、三月二〇日未明にAの部屋に行った際にも、「余計なことをするな。」「Mに

任せておけばいい。」などと言われている経緯や自分が犯行メンバーとは思っていない事情があるにもかかわらず、なお、自らHAやMのところに出向

いたり、AのところへもMに誘われるまま付いて行くなどして本件犯行に関わるようなことをした理由について、被告人は、「当時ワークから外される

と頑張ってやらなければならない。本件をMがやることになった場を知っているわけだから、自分としてはできることはやらなければならない。」「教

団が存亡をかけている状況なわけで、自分としてはできることをやらなければいけないと思ったのではないか。」と、また、HAの部屋に行った理由に

ついて、「Mが五人のメンバーを使って本件をやると言っても、もろもろの手配のことというのが必要になってくるだろうと、僕に回ってくる可能性も

あるんじゃないかと思っていたんじゃないかと思う。どうせ回ってくるんだろうから、そのときにやらないといけないし、それを聞こうとしたのではな

いかと思う」旨供述している(公判供述七三六四丁)。

そうすると、被告人自身にも本件に加担する動機があったことが認められる。

(3) そして、被告人は、本件サリンの撒布に関与した実行役、運転者の誰一人として参加していない、本件に関するA、Mの謀議に同席し、Aが実行役、運転

者役及びその組合せを指示する場面に立ち会っているのである。また、被告人は、三月一九日夜に東京で実行犯メンバーが集結する場所として、どこかないか

とMから尋ねられた際、午後八時以降であれば使用可能であると留保した上で渋谷アジトをあげた旨述べているところ、そのように時刻を限定し

た理由は、そのころであれば、ラルブル爆発事件等の実行を終わって自らが渋谷アジトへ行けるだろうと考えていたというのであるから(乙A一四)、

そのこと自体、当時被告人が本件にも関わりをもつ意向であったことを示すものといえる。さらに、被告人が本件犯行について積極的な姿勢を示してい

たことは、本件犯行の前日、ラルブル爆発事件等を敢行した後に、被告人が、SHに対して、あした大変なことが起きるかもしれないなと言っていたこ

と(公判供述三九一九丁、三九三八丁。なお、YAに対しても話していることにつき公判調書三九九五丁)などからも窺われる。そうすると、HAの部

屋に行き、同人と本件についての話をしたことを契機とするその後の被告人の言動は、明らかに被告人がそれと意識しつつ、本件の犯行に自らさまざま

な形で関与していったものと認めるに十分である。

4 以上によれば、被告人は、本件に加担することになるかもしれないとか、自分にできることはやらなければならないなどと考えながら、HAやHOのとこ

ろへ行き、Mの部屋に行って、地下鉄の情報を提供するなど、本件に次第に深く関与し始め、その後も、Mに「来ないか。」と言われて、Aの部屋に行き、そ

の結果、Mから、車の調達や伝達役を依頼され、渋谷アジトの会議でも自ら最初に発言するなどの行動をとり、犯行当日も、わざわざ渋谷アジトに出かけ、本

件証拠品の処分に関与しているのであって、このような被告人の関与の態様、状況、被告人が関与することによる意味、影響、被告人自身の動機、認識などに

鑑みると、弁護人が指摘するその余の点を検討しても、被告人は、本件の幇助犯にとどまるものではなく、共謀共同正犯の責任を負うものと認められる。


 よって、判示のとおり認定した。