《この会の趣旨》
人間は、どれだけ経済的に豊かであっても、それだけでは決して満たされることのない心の闇を抱えているのではないでしょうか。その闇をごまかさずに見つめて救いを求める要求つまり宗教的要求を誠実に求め続けることは人間にとってとても大事なことでありますが、求める対象や求める方向が間違っていると、求めないよりももっと悪い結果をもたらすことになります。
松本智津夫(オウム真理教の元教祖麻原)は、煩悩の身でありながら自ら最終解脱者を名告りました。そこに一番大きな虚偽があると思われますが、多くの若者はその虚偽をそのまま信じて、あるいは信じさせられて、数々の犯罪を行うという悪い結果をもたらすことになりました。その一人が、全く社会経験を経ないまま16才で入会した井上嘉浩さんでありました。しかし、井上嘉浩さんは1995年5月に地下鉄サリン事件で逮捕された後、松本に対して絶対的に帰依していた自分の過ちに気づきました。
今でも松本に絶対的に帰依している若者たちがいます。あるいは、オウムの過ちに恐怖して、宗教的要求そのものまで否定する人たちもいます。井上さんは宗教的要求を利用され、数々の過ちを犯しました。その彼にしかできないことは、いまだ明らかでないオウムの実態や数々の犯罪の真相解明です。そして、オウムが宗教としてどこが根本的に間違っていたのかを明らかにして、いまだ松本に絶対的に帰依している若者にその間違いを気づかせること、一人の人間として大切な救いとはどうあるべきなのかを明らかにすることです。
井上さんは、拘置所からの手紙の中で「私の犯しました罪は計り知れません。どんなに苦しみもがき、被害者の方々に償いをしようと私なりに努力しましても、何一つ償うことのできない現実に言葉を失うばかりです。ただ生きている限り、苦しみもがき、人にとっての救いを自問して生き抜いていこうと決意しています」と言っています。この課題を我々も彼と共に考えて歩もうではありませんか。
井上さんは2000年6月に東京地方裁判所で無期懲役の判決を受けました。一審の判決文には「自らの刑事責任に直結する事柄についても証言を拒絶することなく、事実を繰り返し述べてきたことは、被告人の反省の現れとみることができる」とあります。また地下鉄サリン事件の詳細な事実認定において「連絡調整的な役割に止まる」と認定されたこと、入信するまでの事情、家庭環境、高校時代という不安定な時期に巧妙に「嵌められた」ことを考慮されたこと、「結局最後まで直接的な実行行為をするにいたらなかった」ことも、死刑求刑に対して無期懲役の判決とされた原因です。しかし、何よりも自らがなした罪の重さに対する深い反省、被害にあわれた人たちへの真摯な態度を考慮されての判決であったと思われます。地裁判決後の井上弘通裁判長の説諭にそのことが述べられています。
「裁判所が判断するにあたって、一番心に留めたのは被告人らの残虐非道な犯行によって命を奪われた方々、その家族の方々のことです。この法廷で多数の被害者や遺族が述べた憤り、悲しみ、苦痛、涙、それに何と言っても被告人に対する厳しい言葉、激しい怒りが、裁判所を強く打ちました。(中略)ただ、裁判所としては、被告人が何よりそれらを自分のこととして痛切に感じ、苦悩し、深く心に刻みこんだものと認め、各犯行にあって、わずかであれ、うかがうことができた被告人の人間性を見て、被告人に生を与える選択をとることにしました」
その一審での判決後すぐに検察側は控訴し、2003年4月に東京高等裁判所で控訴審がはじまり、その年の12月に終了しました。そして、2004年3月の松本被告の死刑判決の2ヶ月後である5月に、検察側の有力な反証もないままに死刑判決が下されました。
しかし、その高裁の判決文においても「自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれ、その行為がもたらした惨状に驚き、被害者や遺族にどのように謝罪しても取り返しのつかない犯行をしたと後悔し、被害者にわびている。現在では松本の影響から離脱し、もはや同種の犯行に及ぶ危険性は消失したといえる」と、山田利夫裁判長も認めておられます。にもかかわらず、どうして一審で与えた命を奪う必要があるのでしょうか。本当に一審判決が誤っているのでしょうか。どうしても、井上さんの命を奪わなければいけないでしょうか。
井上さんには、死刑によってではなく、生きてオウムの実態解明、犯罪の真相究明、オウムの宗教としての虚偽を明らかにし、一人の人間としての救いを、宗教的要求の向かうべき方向を、我々と共に求め続けてほしい。そしてこれは井上さんにとって死ぬよりもつらいことかもしれませんが、決して償いきれるものではない重い罪を生きて償い続けてほしいと願わずにはいられません。それを実現するためにも我々は死刑から井上さんを守らなければなりません。