現場指揮者であるならば、犯行計画、方法等について、少なくとも指揮すべき実行
犯メンバー以上に当初から熟知していてしかるべきと思われるところ、被告人が本件犯
行の具体的な決定に関わったのは現場指揮者とすればわずかである。また、渋谷アジト
における最終的確認、指示についても、被告人が、その直前のラルブル爆発事件等を一
緒に実行したメンバーで本件のことは知らされていないSらとその後に食事しようとし
て、同人らを渋谷アジト付近まで同行し、待たせるなどしていた経緯(乙A一〇等。
S公判供述につき公判調書三九一八丁、三九三七丁)からすると、被告人がそれほど重大
視していたものとも思われない。とりわけ、渋谷アジトにおける被告人の果たした役割
の評価をする関係で考慮すべきはNの存在である。
すなわち、例えば、HIステージの下の者が上の者に対して指示することは考えられない
旨明言するように、ステージ制がとられ、その段階による上下関係が明確かつ厳格で
あった教団内にあっては、被告人が明らかに上の段階に位置するNを差し置き、
そればかりかNに対しても指示、命令するようなことは到底考えられない事態である。
このことは、判示第二ないし第四のVX関連事件の一連の経緯における被告人との関係
を見ても明らかである。そうすると、本件渋谷アジトでの被告人の言動やその実質的な
役割を考察するにあたっては、被告人が相手とした実行役、運転者役の中にNが存在し
ていたことを度外視することはできず、被告人がNに対しても指示するような役割を果
たしたものとは考え難いし、現にN何ら被告人の言動に対して異を唱えた形跡が窺えな
いことからすると、
被告人の行ったことは、事柄の性質上からしても、これを実質的にみる限り、
せいぜいMからの指示の単なる伝達と実行役、運転者役らの協議の進行役を務めた
に過ぎないものと評価すべきである。
さらに、被告人が行った行為には、現場指揮者としての指揮権を発揮したり、独自の決
定行為や指示をしたものは見当たらない。かえって、時間的には十分間に合う関係にあ
ったにもかかわらず、今川アジトに立ち寄って休むなどして、実行メンバーが犯行のた
め出発した後になって渋谷アジトに着くなどした被告人の行動は、検察官が主張する
(論告要旨一二二頁)ような「上九一色村で総指揮を執るA及びMと東京都内において
サリン撒布の実行にあたる実行者及び運転者との間に入って犯行を計画どおり推進で
きる強力な統率力を持っ」て「実行者及び運転者を指揮して犯行を積極的に推進した」
現場指揮者というには不自然とみるしかないし、当日未明に被告人が、HAの依頼を
受けて、まだサリンが届いていないことの確認も併せて行うべく、
上九へ出向いている途中、その知らない間に、実行役全員がMの命で東京から上九へ
往復する事態となり、挙げ句の果てにから、
「何でお前は勝手に動くんだ」と怒られ、「人間は同時にたくさんいろんなことはで
きないんだから、やったって失敗するんだから、サリンはすべてMに任せておけ」
などと叱責されるに至ったこと(乙A一〇等)なども、それまで被告人が実行役と共
にあったことからするとお粗末であり、その後実行役らと別途に東京へ向かったのも、
支援態勢をとるべき現場責任者としては不可解である。その結果、被告人は、前後の
経緯等からすると、十分可能であったと思われる肝心のサリンの運搬、実行役への受渡
し等についても、結局は何らの関与もないままに終わっている。この間の事情は、Mが
HAらを上九に呼びつける際、HAにおいて、既に被告人が上九へ向かっていると弁解した
のに対して、「アーナンダ師は関係ないんだ」と言っていること
(公判供述三二七九丁)からも、よく裏付けられる。
また、被告人は自らが指示された事項(ワーク)については、こまめにAその実行状況
や結果を報告しているのに、本件については何らそのような形跡が窺えないのである。
そうすると、被告人の関与行為そのものは、
せいぜい後方支援ないし連絡調整的な役割にとどまり、客観的には被告人が検察官
の主張するような現場指揮者というに値するだけの実態があったものとはいえない。
の箇所が、
A 量刑の理由については、
まず、被告人が、リムジン内でサリンの使用を示唆したことが本件の契機になり、
Aの決定に影響を及ぼしたものと窺え、このような被告人の安易な発言は強い非難を
免れない。
しかし、被告人は、その後直ちに、むしろ硫酸の使用方を示唆するなどして、Aに
はね付けられていること、被告人が本件にリムジン内会話の段階から関わり、右のよ
うな発言をしたとしても、それは、本件の実行が決定される以前の時点におけること
であり、本件はその後のA、あるいは、A及びMらによる意思決定に基づき、計画、
実行されたものであると窺われること、被告人はその後に共謀関係に入っていること
などからすると、
被告人のリムジン内での言動をもって、被告人が、本件の意思決定を行ったなど
とし、本件での役割として過大に評価することはできない。
(2) 被告人は、本件犯行が準備されている間に、Aに二度直接会って、話をして
いる。実行メンバーの中で、直接Aから指示を受け、あるいはAと直接会って話をし
た者は見当たらないことからすると、被告人は、実行役以上に密接にAに接している
ことになる。
しかし、平成七年三月一九日午後にAの部屋を訪ねたのは、別件のラルブル爆発事件
の爆弾を受け取るためにMに会った際に、来ないかと誘われたことがきっかけであり
その際の状況からしても、Mは、運転者を誰にするかや実行役との組合せについて
Aが出した結論を聞きに行ったものとみられ、この場において、被告人がAやMと
犯行について決定をした具体的事項はなく、そのような意図があったとも窺えない。
なお、この折に、被告人は、Aから今回はやめるかと問いかけられて、尊師の意思に
従いますと答えており、被告人が本件実行の決定に意見を述べ得る地位にいたように
もみえる。しかし、被告人の発言は、それ自体として自らの意見を留保し、Aに決定
を委ねた趣旨のものである。そして、Aの発言の意図は、被告人に対しては本件前に
実行される予定のラルブル爆発事件等について言及したもので、地下鉄サリン事件に
関する限り、むしろ、Mに対して、実行をしっかりやるように、敢えて被告人の名を
あげて叱咤したものと受け止めたという被告人の供述は、リムジン内でAが被告人は
もういいとし、Mにやれと言った会話の流れやそれまでの経緯、状況に照らせば、十
分肯けるし、また、証拠全体に照らしても、Aがこの時点で被告人の発言如何で犯行
を中止したものとは思われず、そもそもAに中止する意思があったとは到底みられな
い。
また、翌三月二〇日未明に、Aの部屋に行ったのは、ラルブル爆発事件等の報告の
ためであり、その際にたまたま遠藤がビニール袋に入ったサリン一一袋を持ってきて
いるが、被告人は、サリンが生成され、Aの部屋に運ばれてくることを認識してその
場に行ったものとはみられない。むしろ、被告人は、Aからサリンの件はすべてMに
任せておけと叱責されている。そして、被告人はAの部屋を出たところで、Mから傘
の購入を依頼されているのであるから、この時までには、ビニール袋に入れたサリン
を傘を使って漏出させる方法がMらによって既に決められていたものとみるほかなく
被告人が、サリン撒布の方法についての具体的決定に関わった形跡はない。
そうすると、被告人は、本件犯行の実行が決まった後、Aと二度会ってはいるも
のの、それは、被告人がラルブル爆発事件等を任されていたことによるものであ
り、本件に関する具体的決定には関わっておらず、本件において、被告人がMに
次ぐ立場であって、AやMとともに本件の意思決定をしていたという事情は認め
られない。
の箇所が、特にアンダーラインを引いたところが、肝要だと思います。
地裁と高裁の判決文を読み比べる限り、
なぜ「連絡調整役または後方支援にとどまる」かについての理由をはっきりと丁寧に述べてい
る地裁の判決文に対して、高裁の判決文は、なぜ井上さんの役割を「総合調整役」としている
のか、その理由が私には分かりません。
にもかかわらず、マスコミは(先ほど述べたように、ある意味では当然ですが)「総合調整役」
として報道しているので、
一度地裁の判決文を皆さんにも読んでみていただきたいと思った次第です。